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【ブレイキングダウン8】韓国勢率いる【秋山成勲(よしひろ)】とは?

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秋山成勲って何者?

1975年7月29日生まれ 現在47歳で、出身地は大阪府 血液型はO型です

総合格闘家

2004年にK1に参戦。

2006年12月31日、K-1PREMIUM メインイベント桜庭和志と対戦し、パウンドでTKO勝ち。

試合後はセコンドについた清原和博と抱き合い勝利を喜んだ。後日、秋山の悪質な反則行為が発覚し、2007年1月11日付けで試合結果はノーコンテスト扱いとなりFEG主催大会への無期限出場停止の処分を受けた。

2007年10月1日、HERO’Sの記者会見が韓国で開かれ、出場停止処分の解除が発表された。

2008年7月21日、DREAM初参戦となった柴田勝頼と対戦し、袖車締めで柴田を絞め落とし一本勝ち。この試合が地上波放送の瞬間最高視聴率13.7%を獲得

柔道家

アマチュア時代は柔道家として、2002年日本国際柔道大会81kg級優勝、アジア大会柔道81kg級優勝の戦歴を誇る。2003年、世界柔道選手権大会の日本代表決定戦となる全日本選抜柔道体重別選手権大会で優勝。しかし、この決勝戦において対戦相手の中村兼三に「柔道着が滑る」と抗議された。

同年10月の世界柔道選手権で2回戦から4回戦の対戦相手であるフランス・モンゴル・トルコの3か国から「柔道着が滑る」という抗議を受けた。なお、1回戦は不戦勝であり、すべての対戦相手から抗議を受けるのは史上初の珍事

国際柔道連盟のチェックでは大きな問題なしとされたが、「疑われるようなことが問題」という山下泰裕理事の指示で柔道着が交換させられた。本人は「洗ったばかりで石鹸が少し残っていた」と弁明。

柔道着を交換した後は準決勝、敗者復活戦で2連敗して5位。

ヌルヌル事件

2006年12月31日、桜庭和志と対戦。タックルから足を取ろうとした桜庭が異常を感じて行った、桜庭の試合中断要求(秋山の足が「滑る」と格闘技戦では異例の「タイム」を要求し、猛アピール)をレフェリーを務めた梅木良則、および秋山は、受け入れずに試合を続行させた。

桜庭はその後も数度、足を取ろうと試みるが失敗(その際も桜庭は試合を行いながら「滑る」と抗議のアピール)。秋山はそのままパンチのラッシュからオープンガードの上を取り、桜庭に百発を超えるパウンドのラッシュを続けた。その最中も殴られながら、桜庭は「滑るよ!」「ふざけんなよ!おい!」と繰り返し抗議したが試合は続行された。

2007年1月11日、都内ホテルにおいて、主催者による秋山VS桜庭戦に関する記者会見が行われ、秋山が試合前、全身にアメリカ製のスキンクリームを塗っていた事実が明らかにされた。秋山が乾燥肌(以前、自身が多汗症だと発言したにもかかわらず)で、それを防ぐために普段から使用しているものとした。秋山は、直接ワセリンやタイオイルを謳った類いのものではないので、塗っても大丈夫という誤解が原因だとし謝罪はしたものの、故意であるとは認めなかった。

試合はノーコンテスト(無効試合)、秋山のファイトマネーは全額没収となった。その後1月17日、FEGが主催する大会への無期限出場停止(事実上の永久追放)の追加処分が下された。この件に伴い、試合後のボディチェックで、秋山の体を触り不正物質だと判断できなかったレフェリーを務めた梅木良則審判員ら5名はギャランティ50%没収。

2021年に親交の深い元プロ野球選手・清原和博のYouTubeチャンネルで公開された動画に出演し、15年前の「ヌルヌル事件」について振り返った。

秋山成勲は韓国人?

韓国名は秋成勲(チュ・ソンフン)

在日韓国人四世として生まれ、のちに帰化し日本国籍を取得したが『柔道のために日本国籍を取ったが私は永遠に韓国人』と語っている。

元プロ野球選手清原和博との関係

秋山清原は10年以上の付き合いがあり、秋山が2004年に総合格闘技デビューを飾った際に清原がセコンドに付いた。 その後も進行が続いたが、清原が薬物で逮捕されてからは疎遠になっていた。

秋山とのスパーリング

清原は、薬物後遺症やうつ病に苦しんでおり、克服するために秋山にスパーリングを申し入れている。

そのスパーリングの動画がYouTubeに上がっているのでよかったら見てみてください。

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